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噴火 その10

明治31年12月26日から30日(1898.12.26~30)
十二月三十日の夜十一時頃、大きく鳴動し宮崎では降灰があった。あたかも雪が積もったようになった。数日前にも大きく鳴動したことがあった。[明治三十二年一月一日 宮崎新報]

 

松山市で十二月二十七日午前二時前後に、遠雷のような異様な音響が三回聞こえたが、北宇和郡明治村および吉野生村付近では、翌二十八日朝に山野の別なく一帯に灰が降っているのを発見した。[明治三十二年一月八日 松山市愛媛新聞]

 

高知市では十二月二十六日に降灰があった、・・・また十二月末から土佐国で数回の小地震(空振だろうか)を感じた。[明治三十二年一月八日 高知日報]

 

同 32年7月28日(1899.7.28)
午前一時三十分頃、遠雷のような鳴動が激しく、山麓の家屋は揺れた。黒煙を噴出した。[明治三十二年八月七日 東京朝日新聞]

 

同 32年9月12日(1899.9.12)
午前、鳴動し、宮崎に降灰があった。[明治三十二年九月十三日 時事新報]

 

同 32年10月13日(1899.10.13)
午前三時五分頃、鳴動し火煙を噴出した。黒煙は次第に東方向に向かって消え散り、鳴動は巨大な砲声のようで、次第に遠雷のようになり、約二分間継続した。[明治三十二年十月十五日 宮崎新報]

 

同 32年11月7日(1899.11.7)
朝、鳴動し、宮崎に降灰があった。[明治三十二年十一月八日 大阪毎日新聞]

 

同 33年2月16日(1900.2.16)
午前九時頃に噴火した。当時狩猟のために飼い犬七頭を引き連れて、霧島山西南山腹の字大尾ノ谷というところにやって来た五名の者はこの爆発に遭遇し、五名とも重傷を被り、内二名は後で死亡した。同所は噴火口からわずか八百間から千間の距離である。[明治三十三年二月二十四日 鹿児島新聞]

 

同 36年8月29日(1903.8.29)
爆発し、加久藤では強い鳴動を聞いた。[明治三十六年九月一日 九州日々新聞]

 

同 36年11月25日(1903.11.25)
午後八時二十五分頃に爆発した。宮崎町でも家屋が振動した。 [明治三十六年十一月二十七日 大阪毎日新聞]

 

今回の噴火は西岳村字牛ノ臑、馬渡、尾首山等におびただしく灰および砂礫を降らせ、牛ノ臑地内には拳大の焼石もあった。[明治三十六年十一月二十九日 鹿児島新聞]