噴火 その1
『日本噴火志』(霧島山)・現代語訳 天平14年11月23日(742.12.28) 十一月壬子の日、大隅国司から報告、「今月二十三日未の刻から二十八日に至るまで空中で音がし、太鼓のようだった。野の雉子も驚き地面も震動し、丙寅の日に使者を大隅国へ遣わして状況を調査し、神の託宣を請わせた」。[続日本紀] 延暦7年3月4日(788.4.18) 七月巳酉の日、太宰府から報告、「去る三月四日戌の刻、大隅国の曽於郡曽乃峯で火炎が盛んに上がり、響きは雷のようであった。亥の刻におよんで火光はようやく止まり、ただ黒煙だけが見えるようになった。そしてその後、砂が降り、山頂下五・六里は砂石が積もり、二尺にも及んでいるようだ。その色は黒い」。[続日本紀] 承和4年(837)秋8月、日向国の都濃・妻・江田・霧島の四神を、官社に預かる。[国史紀事本末] 承和10年(843)9月甲辰、日向国の無位高知保皇神に、従五位下の位をお授けになった。[続日本後紀] 天安元年(857)6月甲申、肥後国にある従五位上曽男神に、正五位下の位を授けた。[類聚国史] 天安2年(858)10月22日、日向国の従五位下高知保皇神に、従四位上の位を授けた。[三代実録]