噴火 その7
明治24年6月19日(1891.6.19)
十九日頃から大きな噴火をし、鳴動が激しく今なお止まない。[官報]
十九日頃から大きな噴火をし、一昼夜におよそ十四回鳴動が激烈で、黒煙を発し噴気が盛んなときには石を飛ばし灰を降らすなどの異常を呈し、山麓の一里内外は草木等の葉を枯れしぼませた。[地学雑誌第三集]
十一月十日頃から昼夜十四・五回ずつ大きな噴火をし、鳴動し黒煙を上げ、近傍一里内外に灰を降らし、ところどころ草木の葉を枯れしぼませたところがあった。同二十日頃からだんだん噴火、鳴動ともに減った。[地学雑誌第三集]
同 27年2月25日~28日(1894.2.25~28)
二月二十五日に噴火した。霧島の山麓部分においては、同日の鳴動前に不思議な音響を聞いたが、午前十時三十分に爆発し、黒煙は東に向かって流れ散り、宮崎地方に降灰があった。西諸県郡高原村大字蒲牟田字抜[祓の誤りか]川(霧島東麓)においては、灰とともに大豆大の小石を降らした。翌二十六日午前八時二十分に鳴動した。その翌日は前回に比較すれば小さく、ただその噴煙が平常時に比べてやや増えただけだった。今日二十八日午前七時五十一分にまた鳴動した。その響きは前に比べてやや大きかった。当地方に少し灰を降らした。[宮崎県庁報告]
霧島山の鳴動の余響だろうか、三月五日に鹿児島でも幾度となく遠地鳴動を聞いた。[明治二十七年三月六日鹿児島新聞]
二月二十五日午前十時三十分に鳴動した。十一時三十七分から同五十七分まで二十分間、焼砂を降らした。幅一尺七寸八分、長さ二尺四寸八分の紙(宮崎新報)で受けたところ重さが三分あった。すなわち一坪に二匁三分の割合である。[宮崎県庁電報]
同 28年7月16日(1895.7.16)
十六日午後零時三十分、鳴動が激しく、黒煙を噴出した。[宮崎県庁電報]
十六日午後零時二十六分十六秒、霧島岳が大音響とともに破裂した。[鹿児島県庁および同測候所電報]