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大森・今村地震学への反省

それは単に経費の問題だけではなく、大森・今村に代表される統計地震学そのものに反省を促すものでもありました。関東大震災の悲惨な状況を前に、わが国における地震学の再構築が、差し迫った問題となったのです。今村とは異なる角度からの地震研究所構想が、水面下で進められていました。

例えば物理学者・長岡半太郎は、「遺憾ながら今日に至るまで得たことは、多くは、皮相的に流れたる嫌があって、まま基礎的方面に欠点を認めた。今度の地震こそ研究方針につき一転機を促していることは、誰も異存なきことであろう」と言い、石原純は「今までは地震の歴史的統計の研究が多かったのではないか、今後はもっと地震波動を物理的に研究せよ」、寺田寅彦は「本当の地震学は此を地球物理学の一章として見た時に始めて成立するのではないか」などと述べています。その背景には、ウェゲナーの大陸移動説やアイソスタシー説がありました。

彼らの主張を端的にいえば、それまでの統計的研究や観測に重点を置いたものではなく、振動工学や物理学、地球物理学等の立場から地震現象を理解するべきだというものでした。船舶工学科出身で振動論を専門とする末広恭二、理学部の寺田寅彦、田中舘愛橘、長岡半太郎らは、東京帝国大学総長古在由直(こざい よしなお)らの後援を得て、今村案の1/7の予算で「地震研究所案」を立案し、勅令第311号により大正14年(1925)11月14日に官制が公布されます。同日付で震災予防調査会は廃止。震災予防に関する重要事項を審議する、震災予防評議会が発足します。