日本地震学会の誕生
ユーイング=グレイ=ミルン地震計による地震観測が、神田一ツ橋(現在の神田錦町)にあった東京大学理学部の地震学実験所で始められました。
話が前後しますが、ミルンのもう一つの画期的な仕事は、世界で初めての地震学会となる「日本地震学会」を設立したことです。ミルンは会長就任を要請されましたが断り、東京大学の服部一三が会長に迎えられました。しかし会員の内訳を見ると、会員117名の内、日本人37名、外国人70名というものであり、在外外国人も含めた外国人がメンバーが多数を占めていました。その中には『一外交官の見た明治維新』の著書で知られるイギリス外交官アーネスト・サトウ、東洋美術史家として名高いアーネスト・フェノロサ、明治天皇の肖像画を描いたエドアルド・キヨッソーネなどの名も見えます。
1880年4月に開かれた総会で、ミルンは最初の講演を行いました。その冒頭で語られたのは、「地震と火山に結びついたあらゆる事実を集めて組織化するのが、この会の主な目的」ということでした。学会は“Transactions of the Seismological Society of Japan”(日本地震学会欧文報告)を発行し、その主な論文は『日本地震学会報告』として、後に東京帝国大学の地震学・初代教授となる関谷清景たちによって、翻訳・発行されました。

Transactions of the Seismological Society of Japan

- 本所永遠の使命
- 近代地震学以前
- 最初の地震観測
- 輸入された地震計
- 本格的な地震計
- 日本地震学会の誕生
- 『日本地震学会報告』の目次
- ミルン『地震学総論』(その1)
- ミルン『地震学総論』(その2)
- ミルン『地震学総論』(その3)
- 世界初の地震学教授
- 震災予防調査会
- 震災予防調査会の仕事
- 濃尾地震から関東大地震まで
- 大森房吉と今村明恒(その1)
- 大森房吉と今村明恒(その2)
- 大森房吉と今村明恒(その3)
- 大森房吉と今村明恒(その4)
- 関東大震災
- 今村の孤立
- 大森・今村地震学への反省
- 設立の理念
- 初代所長・末広恭二
- 発足時の所員
- 談話会と『地震研究所彙報』
- 大規模災害続発
- 共同現地調査
- 公開講演会
- 2人の所長
- 石本巳四雄(みしお)の短すぎた一生
- 第4代所長・妹澤(せざわ)克惟(かつただ)
